コロンバスを後にして、次に向かった先は Candelaria(キャンデラリア)というゴーストタウン。
ネバダ州西部にあるこの2つのゴーストタウンは山道で繋がっているようなのですが、ダートロードの状態が分からなかったので、念のため US-95まで戻ってからキャンデラリアに向かいました。ネバダ州のゴーストタウンへ向かうダートロードはとても状態が良いのが多く、本当に助かります。
よくよく考えてみると、これらのゴーストタウンが栄えた1880年代後半はまだ車がなかったんですよね。この広くてフラットな道は馬車が走り易いように作られたのでしょうか?
ネバダ州の歴史的ポイントに立つ看板。
キャンデラリアだけでなく、メタリックシティという町もあったみたいです。
キャンデラリアは、1864年にメキシコ人探鉱者が近くの鉱山で銀を発見し定住したのが始まりで、キリスト教の Candlemas Day(聖燭祭:キリスト教の聖日でクリスマスの飾りを取り除く日)にちなんで名付けたと言われています。
1873年に Northern Belle という鉱山で生産が始まってから人口が増えていったのですが、当時は水不足が大きな問題でした。水は9マイル離れた場所から運ばれていて、1ガロン1ドル。ウイスキーは水よりも安値だったそう。なので工場では水を使わず砕石作業をしていたため、有毒な粉が大気中に拡散、多くの住民は呼吸器を悪くして亡くなったそうです。
町が本格的に繁栄したのは1880年以降。1882年にトレイルキャニオンから水道管が設置されて水の価格が1ガロン1ドルから0.05ドルに下がり、さらにカーソン&コロラド鉄道の支線が完成、地域で一番大きな町となりました。町のピーク時には、医者3人、弁護士3人、ホテル2軒、お店は6件、サルーンは10件あったと言われています。
しかし1893年の経済恐慌により鉱山が閉鎖すると、ほとんどの人は町を去ってしまいます。
そして第二次世界大戦が始まるまでに、完全なゴーストタウンとなりました。
石を積み上げた土台のみが残る工場跡地。
なお、看板に書いてあった Metallic City(メタリックシティ)は、ここから3/4マイル南にある Pickhandle Gulch という場所にあったそうで、今はほとんど何も残っていないとのこと。キャンデラリアが Saint City(聖都)とされていたのに対し、メタリックシティは Sin City(罪の町)とされ、飲酒、売春婦、殺人などがはびこっていたとか。
私が行った時も、近くの山で採掘作業をしているような大きな音が響いていました。現在も何らかのプロジェクトが行われているようです。120年以上も前に栄えた町の残骸を目の前にその音を聞いていると、一瞬自分がその時代に移動してしまうような気がして、急に胸がドキドキしてしまう私でした。
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